何かをあきらめてがっかりしてしまっている時に

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 楽しみにしていたこと、期待していたこと、期待されていたこと、それらを自分の都合であきらめなければならなかった時、がっかりしますよね。

 それを完遂した時に得られたはずの物事、楽しかったはずの時間、味わえた喜び、成長もあったかもしれません。それに向かう前に「やめる」ことになってしまうのは喪失感のあるものです。

 だけど、その時に、

「自分はこのことを自分で決めてコントロールできている」

と考えると、失った力が戻ってくるような気がしませんか。

 もちろん、自分が決めたとはいえ、周囲の状況を判断してやむなくあきらめたことだってあるはずです。悔しいものです。

 それでも、それを強行するよりは良い、と決めたのはわたし。

 わたしは、わたしの人生を生きることができているのだと(ちょっと無理してでも)思います。

 さて、それでも相手がいることだと申し訳ないものです。相手だっていろいろ期待しているはずですから。がっかりするのは相手も同じだし、その落胆から自分との関係性もおかしくなってしまうかもしれないって心配することだってあるでしょう。どちらかというとわたしは心配してしまうたちです。

 あやまって、事情を説明した上での話ですが、それを理解してくれなかったとしたら、それは相手に「それを理解したくない」「理解できない」事情があったということ。そこからは相手の中の問題かもしれません。

 何もかもスムーズにいく関係はありませんし、そうでない中から構築できる関係性であれば、とてもとても得難いものではないでしょうか。

 もちろん、それによって相手に損害を与えた場合や、過度に期待をもたせていたと思うような時には、心を尽くしてあやまらないと、と思います。それができないとしたら、そこにはきっと「わたし自身の問題」があるのかもしれません。それをクリアにすることは、もしかしたら次の一歩になるのではないかと思います。

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